2009年08月28日

主を仰ぎ見ん (2)

 彼は、惑星上のあらゆる観測地点での分析デェイタを『主』のいる『宙の船《バトゥドゥユニヴェル》』に送信していき、やがて、三百年ほど経ったとき、南半球の水溜りに僅かながらにティエ藻類の発生を確認した。
「ようやくか」
 その周辺の海底の地質、地層や水質、大気成分の分析をして、デェイタを送った。彼の腕や眼は、さまざまな分析能力があり、正確な数値としての収集ができた。活動するためのエネルジェ(活力)は、ときおり彼の身体に降り注がれる『主』の御光(みひかり)だ。その御光を浴びると、力が満ちてきて、活動する原動力となる。そして、その力は残余なく使用されるので、老廃物を排泄することはなかった。
「デェイタは受け取った。一度、戻って来い」
 『主』の声が頭の中に響いた。
「了解、主よ、戻ります」
 彼は、まっすぐに上昇し、空を突きぬけ、たちまち大気圏外に達した。身体は、身体内から発生する防護膜で包まれているので、真空であろうと、海中であろうと、灼熱のマグマの中であっても、かまわない。呼吸も自己生成による循環で賄える。
足元には、灰色の雲がまだらに広がる茶色の大地と以前よりかなり広がってきた水溜まりの球が見えている。
これは、『主』と自分が見守ってきた惑星だ。ようやくここまで来たのだと誇らしげな気持ちになる。
 足元をちらっと一瞥してから、衛星軌道上にある、黒々とした岩塊に向かった。
 ごつごつとした岩肌の間に、鏡のように滑らかな部分があり、その前に立ち、手のひらを当てた。すると、その手のひらが触れたところがまるで水面のようにゆるっとなって、手が吸い込まれるように減り込んでいった。そのまま身体を進め、濾過膜を通るかのように入り込んだ。
 中は暗闇でなにも見えない。
彼は暗闇でも物を見ることはできるのだが、ここは、生き物はもちろん、音もなく、気体、固体、液体、あるいはそれらを形成する成り立ちの粒、それらなにか物質がある気配すら感じられない空間だった。
その絶無の暗闇の中で、急に下方への重力を感じ、落下し始める。そのまま、落ちた先には、広い空間が広がっていて、ゆっくりと石の板のような床に降り立つ。明るくはないが、空間の中央に光の膜がたくさん浮き上がっていて、その膜には、先ほどまで観測していた惑星の各地の映像が流れていた。
この黒い岩塊を中心として、五つの小さな岩が惑星上に点在していて、そこから地上の様子を撮影し、この膜に投影しているのだ。
「ただいま戻りました、主よ」
 彼が首を巡らしながらその姿を捜した。
「結果が出たな」
 どこからか、『主』の声がした。まるで、自分の声が反響してきているように聞こえる。声も、『主』と同じ声帯によって発されるため、ほとんど同じ調子なのだ。そのため、彼はつとめて、高めに声を張る。
「はい、これから、連鎖的に増加していきます」
 酸素の量も充分になっていく。そうすれば、生態系の活動が活発化し、大きな『うねり』となって水中に広がり、やがて地上にも広がっていくはずだ。
 彼は『主』の姿を求めて、黒い石床を歩き出した。その空間には、大きな黒石の板が五つ円形に立ち並び、そのひとつひとつの前に手元くらいの高さの四角い台が置かれていた。その四角い台の中央に地上の様子が投影された光の薄い膜がいくつも浮遊している。
「主よ、いずこにおられるのですか」
「ここにいる」
 だが、ここにはいない。この岩塊の中では、二百年はわずかな間でしかないが、外では一秒、一秒が長く思える。せっかく、二百年早く帰って来られたのだ。
 早く、会いたい。
 早く。
「ああ、見えないか」
 ようやく気が付いたとばかり、今行くと答えた。
 光が上方から降り注いできて、見上げると、光の環の中に『主』の姿が見えた。あまりにまぶしい。しかし、彼は眼を閉じることもなく、手をかざすこともしない。
 その光に眼が潰れてもいい、彼は、ずっと仰ぎ見ていた。
 光はヒトの形をとっていた。やがて、その光が弱まってきたとき、薄い透明な膜のような外套を纏った『主』の姿が見えてきた。その透明な膜に包まれているのは、ヒトの形をした黒い影。『主』に身体はなく、空虚なのだ。
「ただいま戻りました。主よ」
 仰ぎ見るようにしながら、両膝を付いた。『主』は薄い膜で出来た、頭巾の先を摘んだ。
「さっき、言ったぞ、それは」
 なにか違うことを言えと笑われた。彼は頬を赤くして、それでもなお、見上げたままでいた。
「早く戻れてうれしいです」
 そうかと彼に背を向けた。
「ああ、そうだ。おまえがいない間に、一体造った」
 手のひらを床に向けた。床から光の柱が競りあがってきた。光の柱は左右に開き、中からヒトの姿が現れた。
 彼と同じように一糸纏わぬ姿。彼よりも少し小柄で、おそらく、ヒトの年頃で言えば、二十代始めくらいの彼ほど若くはなく、三十代半ばくらいだろう。肩まで伸びた赤茶けた色の髪が額も覆っていて、その間から青色の眼が見えていた。高い鼻、薄い唇。
そうした造形。それが意味するもの。
 ヒトの顔。
 彼は、初めて、肉眼でデェイタ画像以外のヒトの顔を見た。
(続く)
ネタバレ的キャラ&設定紹介
posted by のり at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | SF・ファンタジー