頭の上から声がして、はっと仰ぎ見た。『主』が、空中に浮かんでいた。
「……」
声が出ない。
『主』がゆっくりと降りてきた。しばらく半分砂に埋まったあれの亡骸を見てから尋ねた。
「なんで殺した」
彼は立ち尽くしていた。どれほどそうしていたのか、ようやく口を開いた。
「こいつは、こいつは」
だが、あとの言葉が続かなかった。
どうして殺したのか。
『主』が寂しさを紛らわすために造ったなんて。
では、俺は。俺はなんなんだ。ただデェイタを収集するだけの『もの』なのか。
だが、そのようなことを『主』に向かって言えるはずはなかった。もちろん、すべてを語らずとも、彼の気持ちはわかってしまう。
震える唇。殺意で血走った眼、憎しみに歪んだ醜い顔をさらしているのだ。
『主』は、ふうとため息をついた。
「嫉妬か、おまえにそのような感情が芽生えるとは思わなかった」
嫉妬。
あれを殺したのは、嫉妬からなのか。
そんな気持ち、知らなかった。知りたくもなかった。
だが、『主』は罰を下されるだろう、大切なヒトを模ったものを殺したのだから。
そうだ、その手にかけてもらえるのならば、いっそその方が。
しかし。
『主』がいつもの皮肉まじりの口調でまあいいと言った。
「所詮、木偶人形だ」
処理しておけと言って背を向けた。
「処理してから艦橋に戻れ、話がある」
それだけ言い残して、光の粒となって消えた。
「木偶人形……」
こいつが木偶人形だとしたら、俺も所詮木偶人形なのか?
しかし、そんなことを尋ねてなんになる。『主』は、そうだと答えるに違いない。そんなこと、わかっているけれど、『主』に言われたら、きっと、壊れてしまう。なにもかも、失ってしまう。
この世界が虚無となる。
その手にかけてもらえないのなら、このままでいい。『主』とともにいられるならば、木偶人形でもいい。
彼は、亡骸をうつ伏せにしてから肩に背負い、歩き出した。
艦橋の近くにある処理室に運び、その中央にある白い石盤の上に亡骸を置いた。壁際の黒い石板に手のひらを押し付け、組成分解のコォオドを入力した。石盤が光だし、亡骸はその光に包まれ、次の瞬間、光の粉となって消えていた。
艦橋に戻ると、中央の透明膜に惑星の地上が映し出されていた。ティエ藻類が発生した水溜まりが緑色に染まっていた。
「順調だ」
『主』が指差す。こんなに繁殖し、酸素を出している様子を見ると、ようやく実を結び出したのだなと、胸の奥によかったという気持ちとうれしいという気持ちが沸いてきて、眼を細めて見入っていた。
『主』が、石台のひとつに手のひらを置いた。
「テクスタント《本部》から指令が来た」
えっと息を飲んでいた。そんなことは初めてのことだった。
「この惑星での観測作業を終了して、別星域に向かい、違反者の基盤を回収する」
『主』の声からはいつもの不機嫌さとは違った、怒りのようなものが感じられた。
基盤とは、『主』たち、究極者が本星にある本体(不定形の意識体)のデェイタを移植し、個体として活動できるようにするものだった。
「でも、この惑星の観測もまだ必要です」
酸素の量が増える傾向になってきただけだ。まだまだ先は長いのだ。
「ほかの観測チィイムが来る」
そいつらに任せればいいと言われ、しかたなく、はいと素直にうなずいた。
「残念だがな、最後まで見届けられないのは」
『主』が少し寂しそうにつぶやいた。
ああ、『主』は、俺と同じ気持ちだ。
それで、すっかり気持ちが落ち着いてきた。
中央の透明の投影膜がゆっくりと消えていく。代わりに天球図のような緑色の球体が現れた。
「どこにいくんですか」
その球体を見つめた。
「隣の銀河の辺境だ」
少しばかりやっかいな回収作業になるかもしれないと腕を組んだ。
「どんな作業でもこなします」
彼が『主』に向かって両膝を付いて、仰ぎ見た。『主』は、見下ろしてうなずいた。
「そうだな、やってもらわなくてはな、シャダイン」
『主』は、初めて彼の名を呼んだ。
「『主』よ、それは……」
シャダイン。『主』のありし日の名。
「おまえの名だ。そして俺の名だ」
ひそやかに、穏やかに。それは優しいという声音。
そのとき、彼は、翠の眼から水滴が溢れてきていたことに、気が付いてはいなかった。
そして、『主』が、黒い五つの石板を巡りながら、手のひらを押し付けて、光らせ出した。この『宙の船』を動かす五つの石板が、起動していくのだ。
「さあ、行こうか」
『主』よ、いずこにでもいきます、この先もずっと、ふたりきりであれば、俺はそれでいいんです。
『宙の船《バトゥドゥユニヴェル》』が、目的の星域を目指して航行を開始した。
(END)
ネタバレ的キャラ&設定紹介