「シャダイン」
あれは、『主』の腕の中で見上げて呼びかけていた。『主』は白いてぶくろのようなものを手にはめていた。そのてぶくろは、物質に触れるときにはめるものだ。そうでないと、『主』は物質に触れることができないからだ。
そのてぶくろの指先であれの髪をすくように撫でていた。あれは眼を閉じ、やすらかな笑みを口元に浮かべている。
「気持ちいいか、ツヴィルク」
『主』の声。穏やかでひそやかで……それは優しいという声音。
「ああ、気持ちいい」
「そうか、もっとよくしてやろう」
『主』が両腕をあれの背中に回し、強く抱き締めた。
「それは……それは……」
彼の唇がわなないた。
なんだ、それは、なんなんだ。
彼はその場で立ち尽くし、『主』とあれの行為を呆然と見ていた。
動けなかったのだ。あまりに信じがたいことゆえに。その場から逃げ出そうということすら思いつかなかった。
やがて、『主』が、あれをゆっくりと砂の上に横たえて、光の粉になって消え去った。
彼はざくりざくりと砂を踏む音がするのもかまわずに近付いた。
あれの横たわっているすぐ側までやってきた。気が付いて、身体を起こした。
「おまえ、名前は」
あれは落ち着いた声で尋ねてきた。
「俺に名前はない」
名前など必要なかったのだ、『主』とふたりきり。区別するための名前などいらなかったのだ。
「そうか、シャダインは名をつけなかったんだな」
いやそれともと言いかけて、見上げてきた。
「気に入らないのか、わたしが」
険しい顔をしていると手を伸ばしてきた。その手が足に触れそうになって、避けるように後ろに下がった。
「おまえは、なんで、『主』の御名を呼んで、馴れ馴れしく側によって……なんであんなあんなこと!」
彼は頭の中がまるで熱湯が沸きあがるように興奮していた。ぶるぶると身体が震え、舌もうまく回らなくなっていた。
あれは、ふうとため息をついた。
「シャダインは、寂しいんだ。だから、大切なヒトと同じ姿のわたしを造り、触れているんだよ」
ふたりは愛し合っていて、ありし日はその身体を触れ合っていたのだ。だから、そのヒトを模ったわたしの身体に触れて、寂しさを紛らわしているんだよと言い放った。
彼の中の識域の線が切れた。あれの細い首を両手で掴み、その身体の上にのし上がって、砂に押し倒した。
「な、なにをっ!」
喉をぐいぐいと握りつぶすように締め上げた。
「寂しいっ!? 寂しいだって! そんなはずない、俺が、俺がいるんだ、俺がお側にいるんだから、寂しいはずないっ!」
何百年も何千年も話し続ける『主』の側で、ずっと仰ぎ見ながら、聞きいっていた。デェイタの収集器となって、手伝いをしてきた。
ずっと。ずっと。何万年も。この先もずっと、ふたりきりでこの惑星の「新世界」完成を見届けていくのだ。
そう信じていた。それが永遠に続くのだと信じていた。
「おまえなんか、必要ないんだ、俺がいれば、『主』は寂しくなんかないっ!」
「ぐあっ、アアッ!?」
あれの指がなんとか彼の指を剥がそうとしたが、まったく剥がせない。
「やぁっ、ああ、シャダァァァィィンンンッ!」
「呼ぶな、『主』の御名を!」
あれの青い眼がかっと見開かれた。その瞳。その瞳に映ったもの。
「あっ」
一瞬、締め付けていた彼の手が止まった。その瞳には、黒髪に翠の瞳を険しく細め、憎しみと殺意に歪んだ醜い顔が映っていた。
それは、その顔は。
「うわっ、うわわぁぁぁっ!」
彼は眼をつぶり、一気に両手に力を込めた。ぐきっと音がして、あれの首の骨が折れた。
首を手折った手は、なかなかはがれなかった。ようやく離れた手を呆然と見下ろした。ぶるぶると痙攣が止まらない。ちらっと見ると、見開かれた眼がこちらを見ていた。開いた口からもなにかだらっとしたものが漏れていた。
あの瞳に映った顔。
あんな顔、あんな顔、あれは違う。あれは俺の心が映っていただけだ。あんな顔じゃない、絶対に違う。
彼は狂ったように、手で砂を掬い、息絶えたその体に掛け始めた。
見えなくなれ。見えなくなれと。
「なんだ、殺したのか」
●シャダイン ……究極者(アルティメット)と呼ばれる宇宙意識体。通常はヒト型を取っているが、本来は定型を持たない。主(しゅ)と呼ばれ、生体造型(ヴィヴァント)と区別している。
●彼 ……生体造型(ヴィヴァント)。主の姿を再現した。妄信的なまでに主に対して傾倒している。
●ツヴィルク ……ヴィヴァント。シャダインの恋人を模っている。
●テクスタント(本部) ……究極者たちの本星。最高意思決定組織があり、生命のある惑星に派遣員のチィイムを向かわせて、ユラニオゥム(核)や環境破壊、ウイルス病原体などによって滅亡、瀕死になった惑星に初期化システム《ムウイェスィオン》を掛けて、生命誕生からやり直して新たな《摂理》の世界を作り出そうという計画している。
2009年09月10日
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