2009年09月15日

主を仰ぎ見ん(5)

 頭の上から声がして、はっと仰ぎ見た。『主』が、空中に浮かんでいた。
「……」
 声が出ない。
『主』がゆっくりと降りてきた。しばらく半分砂に埋まったあれの亡骸を見てから尋ねた。
「なんで殺した」
 彼は立ち尽くしていた。どれほどそうしていたのか、ようやく口を開いた。
「こいつは、こいつは」
 だが、あとの言葉が続かなかった。
 どうして殺したのか。
『主』が寂しさを紛らわすために造ったなんて。
 では、俺は。俺はなんなんだ。ただデェイタを収集するだけの『もの』なのか。
 だが、そのようなことを『主』に向かって言えるはずはなかった。もちろん、すべてを語らずとも、彼の気持ちはわかってしまう。
 震える唇。殺意で血走った眼、憎しみに歪んだ醜い顔をさらしているのだ。
『主』は、ふうとため息をついた。
「嫉妬か、おまえにそのような感情が芽生えるとは思わなかった」
 嫉妬。
 あれを殺したのは、嫉妬からなのか。
 そんな気持ち、知らなかった。知りたくもなかった。
 だが、『主』は罰を下されるだろう、大切なヒトを模ったものを殺したのだから。
 そうだ、その手にかけてもらえるのならば、いっそその方が。
 しかし。
『主』がいつもの皮肉まじりの口調でまあいいと言った。
「所詮、木偶人形だ」
 処理しておけと言って背を向けた。
「処理してから艦橋に戻れ、話がある」
 それだけ言い残して、光の粒となって消えた。
「木偶人形……」
 こいつが木偶人形だとしたら、俺も所詮木偶人形なのか?
 しかし、そんなことを尋ねてなんになる。『主』は、そうだと答えるに違いない。そんなこと、わかっているけれど、『主』に言われたら、きっと、壊れてしまう。なにもかも、失ってしまう。
 この世界が虚無となる。
 その手にかけてもらえないのなら、このままでいい。『主』とともにいられるならば、木偶人形でもいい。
 彼は、亡骸をうつ伏せにしてから肩に背負い、歩き出した。
 艦橋の近くにある処理室に運び、その中央にある白い石盤の上に亡骸を置いた。壁際の黒い石板に手のひらを押し付け、組成分解のコォオドを入力した。石盤が光だし、亡骸はその光に包まれ、次の瞬間、光の粉となって消えていた。
 艦橋に戻ると、中央の透明膜に惑星の地上が映し出されていた。ティエ藻類が発生した水溜まりが緑色に染まっていた。
「順調だ」
『主』が指差す。こんなに繁殖し、酸素を出している様子を見ると、ようやく実を結び出したのだなと、胸の奥によかったという気持ちとうれしいという気持ちが沸いてきて、眼を細めて見入っていた。
『主』が、石台のひとつに手のひらを置いた。
「テクスタント《本部》から指令が来た」
 えっと息を飲んでいた。そんなことは初めてのことだった。
「この惑星での観測作業を終了して、別星域に向かい、違反者の基盤を回収する」
 『主』の声からはいつもの不機嫌さとは違った、怒りのようなものが感じられた。
 基盤とは、『主』たち、究極者が本星にある本体(不定形の意識体)のデェイタを移植し、個体として活動できるようにするものだった。
「でも、この惑星の観測もまだ必要です」
 酸素の量が増える傾向になってきただけだ。まだまだ先は長いのだ。
「ほかの観測チィイムが来る」
 そいつらに任せればいいと言われ、しかたなく、はいと素直にうなずいた。
「残念だがな、最後まで見届けられないのは」
『主』が少し寂しそうにつぶやいた。
 ああ、『主』は、俺と同じ気持ちだ。
 それで、すっかり気持ちが落ち着いてきた。
 中央の透明の投影膜がゆっくりと消えていく。代わりに天球図のような緑色の球体が現れた。
「どこにいくんですか」
 その球体を見つめた。
「隣の銀河の辺境だ」
 少しばかりやっかいな回収作業になるかもしれないと腕を組んだ。
「どんな作業でもこなします」
 彼が『主』に向かって両膝を付いて、仰ぎ見た。『主』は、見下ろしてうなずいた。
「そうだな、やってもらわなくてはな、シャダイン」
『主』は、初めて彼の名を呼んだ。
「『主』よ、それは……」
 シャダイン。『主』のありし日の名。
「おまえの名だ。そして俺の名だ」
 ひそやかに、穏やかに。それは優しいという声音。
 そのとき、彼は、翠の眼から水滴が溢れてきていたことに、気が付いてはいなかった。
 そして、『主』が、黒い五つの石板を巡りながら、手のひらを押し付けて、光らせ出した。この『宙の船』を動かす五つの石板が、起動していくのだ。
「さあ、行こうか」
『主』よ、いずこにでもいきます、この先もずっと、ふたりきりであれば、俺はそれでいいんです。
 『宙の船《バトゥドゥユニヴェル》』が、目的の星域を目指して航行を開始した。                   
(END)
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2009年09月10日

主を仰ぎ見ん(4)

「シャダイン」
 あれは、『主』の腕の中で見上げて呼びかけていた。『主』は白いてぶくろのようなものを手にはめていた。そのてぶくろは、物質に触れるときにはめるものだ。そうでないと、『主』は物質に触れることができないからだ。
そのてぶくろの指先であれの髪をすくように撫でていた。あれは眼を閉じ、やすらかな笑みを口元に浮かべている。
「気持ちいいか、ツヴィルク」
『主』の声。穏やかでひそやかで……それは優しいという声音。
「ああ、気持ちいい」
「そうか、もっとよくしてやろう」
『主』が両腕をあれの背中に回し、強く抱き締めた。
「それは……それは……」
 彼の唇がわなないた。
 なんだ、それは、なんなんだ。
 彼はその場で立ち尽くし、『主』とあれの行為を呆然と見ていた。
 動けなかったのだ。あまりに信じがたいことゆえに。その場から逃げ出そうということすら思いつかなかった。

 やがて、『主』が、あれをゆっくりと砂の上に横たえて、光の粉になって消え去った。
 彼はざくりざくりと砂を踏む音がするのもかまわずに近付いた。
 あれの横たわっているすぐ側までやってきた。気が付いて、身体を起こした。
「おまえ、名前は」
 あれは落ち着いた声で尋ねてきた。
「俺に名前はない」
 名前など必要なかったのだ、『主』とふたりきり。区別するための名前などいらなかったのだ。
「そうか、シャダインは名をつけなかったんだな」
 いやそれともと言いかけて、見上げてきた。
「気に入らないのか、わたしが」
 険しい顔をしていると手を伸ばしてきた。その手が足に触れそうになって、避けるように後ろに下がった。
「おまえは、なんで、『主』の御名を呼んで、馴れ馴れしく側によって……なんであんなあんなこと!」
 彼は頭の中がまるで熱湯が沸きあがるように興奮していた。ぶるぶると身体が震え、舌もうまく回らなくなっていた。
 あれは、ふうとため息をついた。
「シャダインは、寂しいんだ。だから、大切なヒトと同じ姿のわたしを造り、触れているんだよ」
 ふたりは愛し合っていて、ありし日はその身体を触れ合っていたのだ。だから、そのヒトを模ったわたしの身体に触れて、寂しさを紛らわしているんだよと言い放った。
 彼の中の識域の線が切れた。あれの細い首を両手で掴み、その身体の上にのし上がって、砂に押し倒した。
「な、なにをっ!」
 喉をぐいぐいと握りつぶすように締め上げた。
「寂しいっ!? 寂しいだって! そんなはずない、俺が、俺がいるんだ、俺がお側にいるんだから、寂しいはずないっ!」
 何百年も何千年も話し続ける『主』の側で、ずっと仰ぎ見ながら、聞きいっていた。デェイタの収集器となって、手伝いをしてきた。
ずっと。ずっと。何万年も。この先もずっと、ふたりきりでこの惑星の「新世界」完成を見届けていくのだ。
そう信じていた。それが永遠に続くのだと信じていた。
「おまえなんか、必要ないんだ、俺がいれば、『主』は寂しくなんかないっ!」
「ぐあっ、アアッ!?」
 あれの指がなんとか彼の指を剥がそうとしたが、まったく剥がせない。
「やぁっ、ああ、シャダァァァィィンンンッ!」
「呼ぶな、『主』の御名を!」
 あれの青い眼がかっと見開かれた。その瞳。その瞳に映ったもの。
「あっ」
 一瞬、締め付けていた彼の手が止まった。その瞳には、黒髪に翠の瞳を険しく細め、憎しみと殺意に歪んだ醜い顔が映っていた。
 それは、その顔は。
「うわっ、うわわぁぁぁっ!」
 彼は眼をつぶり、一気に両手に力を込めた。ぐきっと音がして、あれの首の骨が折れた。
首を手折った手は、なかなかはがれなかった。ようやく離れた手を呆然と見下ろした。ぶるぶると痙攣が止まらない。ちらっと見ると、見開かれた眼がこちらを見ていた。開いた口からもなにかだらっとしたものが漏れていた。
あの瞳に映った顔。
あんな顔、あんな顔、あれは違う。あれは俺の心が映っていただけだ。あんな顔じゃない、絶対に違う。
 彼は狂ったように、手で砂を掬い、息絶えたその体に掛け始めた。
見えなくなれ。見えなくなれと。
「なんだ、殺したのか」
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2009年09月01日

主を仰ぎ見ん(3)

「なんです、これは」
 彼は、いいしれぬ不安を感じ、震えながら後退った。
『主』は、それを手招いた。
「おまえと同じ、ヴィヴァント(生体造型)だ、俺の大切な……ツヴィルクをかたどった」
『主』は、そう言い、そのヴィヴァントの頬に指先を触れんばかりに近づけた。
「ツヴィルク」
 すると、そのヴィヴァントは、見上げながら眼を細め、唇を開いた。
「シャダイン……」
 ああ、その名前は。

 ありえない、『主』の名前を口にするなんて。
 せっかく早くに観測を終えて『宙の船《バトゥドゥユニヴェル》』に帰ってきたというのに、『主』は、彼のことはかまわずに、新しいヴィヴァントとばかり話をしていた。
 船の内部は、複雑な区画に分かれているが、実は、彼は五つの黒板の空間以外の区画には行ったことはなかった。
 彼が造られたのは研究区のひとつだといわれたが、気が付いたとき、彼はすでに青年の姿で、あの黒い板の前にいた。それから数万年経つが、その姿に変化はなかった。『主』の話を受身的に聴くことがほとんどだったが、なにがしかの感情が少しずつ育っていった。
 ヴィヴァント(生体造型)は、研究区の大きな透明筒の中で造られる。その筒には、ウルティミュウリア(超力)という力の粒子(素子)から出来た液体が満たされていて、その中に有機的重合分子を投入する。その分子の微細な隙間に素子が入り込み、組み込まれていって、やがて、『主』が構築したジェノム(遺伝子情報)を伝達するウルティミュウリアの衝撃雷を放ち、そのジェノムに従った造型の生体が造られるのだ。
 彼はそうして造られた。
 あのヴィヴァントもそうして造られたはずだった。彼と同じように。

 彼は、初めて五つの黒い板の空間「艦橋」から出た。およそ、何千と放射状に広がっている暗い通路のひとつを無作為に選んで、歩き出した。通路は幅広く、天井も高い。先などまったく見えない。どこまで続いているのか、わかろうはずもない。
 ゆっくりと歩いていく。
『主』は、どこにいかれたのか、もう何百日も会っていない。
 時間の経過は、彼の身体に内蔵されているプログラムコォオドによって正確に算出される。
「三八一日二十二時間十九分三十八秒、三十九秒、四十秒……」
 観測から戻ってきてから、ずっと呟いていた。
『主』は、あのツヴィルクというヴィヴァントを連れて、どこかに消えていった。この船内のいずこかにいるのだろうが、彼にはその所在はわからなかった。
 惑星上で収集したデェイタの解析は研究区の解析回路が行なっているので、彼はここに戻ってくると何もすることがなかった。いつもなら、戻ってきたら『主』の語る別の星域の話や、腐敗した文明の醜い有様、滅亡させるときの様子、その消滅された物質のひとつひとつについて、事細かに語ってくれた。生物については、そのジェノム(遺伝子情報)から発生―死、無機物は組成や用途。さまざまな事象や社会体制。なにが必要で、なにが不要なのか。
 ヒト種などについては、個体を特定してその名前で話すこともあった。
「ロージュンというヒト種ときたら、すべてのヒトを支配したいがために、脳内に操作チップを埋め込んだはいいが、その操作システムを改ざんされて、ヒト類すべてを敵に回すことになった。最後はその操作システムそのものが破綻して、ヒト種は、ひとり残らず生命活動が停止してしまうことになった」
 どこも悪いところがないのに、老いも若きも子どもも老人も次々に座り込んだり、倒れたりして、少しも動くことができなくなって、喉が渇き、枯れ果て、衰弱死していったのだ。
 ある惑星では、信奉するものが異なるものは殲滅すると互いに子々孫々まで戦い続け、大量破壊兵器で滅んでしまった。
 環境破壊が進み、僅かな食料や資源を奪い合って殺し合い、秩序ある文明社会が崩壊してしまった惑星もある。
 汚された自然が自らヒトや生物の住めない環境に変わり、適応できなくなった動植物は死に絶え、微生物や昆虫類しか生き残れなくなった惑星もあった。
 どこもそんなばかげたことばかりだと鼻先で笑い飛ばした。
『主』は、いつも不愉快そうに、旧世界の愚かさを皮肉り、あざ笑う。
 彼はそんな『主』の語る姿を仰ぎ見ているだけだった。だが、それはこの上もなく充たされたことだった。それだけでよかったのだ。
 それなのに、なんだ、あれは。あれは。
「『主』の名を……おそれもなく……口にして……」
 ギリギリと歯噛みしていた。
 今までに感じたことのない感情。
 いったい何なのだ。この気持ちは。
 あてどなく通路を歩いていく。通路は、複雑に折れ曲がっていたり、螺旋状になっていたり、下ったり登ったり、分岐していたり、合流していたりしていた。だが、どのような経路を歩いていったとしても、彼はそれまで歩いた経路を正確に記憶しており、もとの「艦橋」に戻ることができるのだ。
 前方の暗闇の中からぽつりと光の粒が現れた。
『主』の御光。その光を浴びたい。
 思わず足が速まり、やがて駆け出していた。
 あそこにおられる!
 次第に光の粒は大きくなり、明るく広々とした空間になった。
 そこは、白い砂がどこまでも広がっていて、ところどころに丘となって盛り上がっていた。
 その丘の下に『主』が座っていた。透明膜の外套を着て、頭巾を被り、あぐらを掻いていた。その膝の間に。あれがいた。
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2009年08月28日

主を仰ぎ見ん (2)

 彼は、惑星上のあらゆる観測地点での分析デェイタを『主』のいる『宙の船《バトゥドゥユニヴェル》』に送信していき、やがて、三百年ほど経ったとき、南半球の水溜りに僅かながらにティエ藻類の発生を確認した。
「ようやくか」
 その周辺の海底の地質、地層や水質、大気成分の分析をして、デェイタを送った。彼の腕や眼は、さまざまな分析能力があり、正確な数値としての収集ができた。活動するためのエネルジェ(活力)は、ときおり彼の身体に降り注がれる『主』の御光(みひかり)だ。その御光を浴びると、力が満ちてきて、活動する原動力となる。そして、その力は残余なく使用されるので、老廃物を排泄することはなかった。
「デェイタは受け取った。一度、戻って来い」
 『主』の声が頭の中に響いた。
「了解、主よ、戻ります」
 彼は、まっすぐに上昇し、空を突きぬけ、たちまち大気圏外に達した。身体は、身体内から発生する防護膜で包まれているので、真空であろうと、海中であろうと、灼熱のマグマの中であっても、かまわない。呼吸も自己生成による循環で賄える。
足元には、灰色の雲がまだらに広がる茶色の大地と以前よりかなり広がってきた水溜まりの球が見えている。
これは、『主』と自分が見守ってきた惑星だ。ようやくここまで来たのだと誇らしげな気持ちになる。
 足元をちらっと一瞥してから、衛星軌道上にある、黒々とした岩塊に向かった。
 ごつごつとした岩肌の間に、鏡のように滑らかな部分があり、その前に立ち、手のひらを当てた。すると、その手のひらが触れたところがまるで水面のようにゆるっとなって、手が吸い込まれるように減り込んでいった。そのまま身体を進め、濾過膜を通るかのように入り込んだ。
 中は暗闇でなにも見えない。
彼は暗闇でも物を見ることはできるのだが、ここは、生き物はもちろん、音もなく、気体、固体、液体、あるいはそれらを形成する成り立ちの粒、それらなにか物質がある気配すら感じられない空間だった。
その絶無の暗闇の中で、急に下方への重力を感じ、落下し始める。そのまま、落ちた先には、広い空間が広がっていて、ゆっくりと石の板のような床に降り立つ。明るくはないが、空間の中央に光の膜がたくさん浮き上がっていて、その膜には、先ほどまで観測していた惑星の各地の映像が流れていた。
この黒い岩塊を中心として、五つの小さな岩が惑星上に点在していて、そこから地上の様子を撮影し、この膜に投影しているのだ。
「ただいま戻りました、主よ」
 彼が首を巡らしながらその姿を捜した。
「結果が出たな」
 どこからか、『主』の声がした。まるで、自分の声が反響してきているように聞こえる。声も、『主』と同じ声帯によって発されるため、ほとんど同じ調子なのだ。そのため、彼はつとめて、高めに声を張る。
「はい、これから、連鎖的に増加していきます」
 酸素の量も充分になっていく。そうすれば、生態系の活動が活発化し、大きな『うねり』となって水中に広がり、やがて地上にも広がっていくはずだ。
 彼は『主』の姿を求めて、黒い石床を歩き出した。その空間には、大きな黒石の板が五つ円形に立ち並び、そのひとつひとつの前に手元くらいの高さの四角い台が置かれていた。その四角い台の中央に地上の様子が投影された光の薄い膜がいくつも浮遊している。
「主よ、いずこにおられるのですか」
「ここにいる」
 だが、ここにはいない。この岩塊の中では、二百年はわずかな間でしかないが、外では一秒、一秒が長く思える。せっかく、二百年早く帰って来られたのだ。
 早く、会いたい。
 早く。
「ああ、見えないか」
 ようやく気が付いたとばかり、今行くと答えた。
 光が上方から降り注いできて、見上げると、光の環の中に『主』の姿が見えた。あまりにまぶしい。しかし、彼は眼を閉じることもなく、手をかざすこともしない。
 その光に眼が潰れてもいい、彼は、ずっと仰ぎ見ていた。
 光はヒトの形をとっていた。やがて、その光が弱まってきたとき、薄い透明な膜のような外套を纏った『主』の姿が見えてきた。その透明な膜に包まれているのは、ヒトの形をした黒い影。『主』に身体はなく、空虚なのだ。
「ただいま戻りました。主よ」
 仰ぎ見るようにしながら、両膝を付いた。『主』は薄い膜で出来た、頭巾の先を摘んだ。
「さっき、言ったぞ、それは」
 なにか違うことを言えと笑われた。彼は頬を赤くして、それでもなお、見上げたままでいた。
「早く戻れてうれしいです」
 そうかと彼に背を向けた。
「ああ、そうだ。おまえがいない間に、一体造った」
 手のひらを床に向けた。床から光の柱が競りあがってきた。光の柱は左右に開き、中からヒトの姿が現れた。
 彼と同じように一糸纏わぬ姿。彼よりも少し小柄で、おそらく、ヒトの年頃で言えば、二十代始めくらいの彼ほど若くはなく、三十代半ばくらいだろう。肩まで伸びた赤茶けた色の髪が額も覆っていて、その間から青色の眼が見えていた。高い鼻、薄い唇。
そうした造形。それが意味するもの。
 ヒトの顔。
 彼は、初めて、肉眼でデェイタ画像以外のヒトの顔を見た。
(続く)
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2009年08月26日

主を仰ぎ見ん (1)

 空を覆い尽くしている厚い雲の間から、わずかながら、太陽光が差し込んできていた。昨日までおよそ数千年間は降り続いていた暴風雨が止み、つかの間の陽射しだった。
 計画によれば、五百年もたたないうちに、また数千年もの降雨期となる。このわずかな五百年足らずのうちに、ティエ藻類の発生を確認しなければならない。この止雨期の間には、雨と晴れが循環的に訪れて、地上に太陽光を注ぐ。
 前回の止雨期には、まだその発生が確認できず、海中への酸素の供給が始まらなかった。もし今回ティエ藻類の発生があれば、降雨期の周期は短くなり、日照時間が増えていくことになる。
 どこまでも続く海原、そのところどころに飛び出している岩は、まだ島とも言えず、大陸にも成長していない。ただ、広大な海、いや、淡水の溜まりが広がっていた。
 その水面すれすれに飛びながら、腕を水中に差し入れて水中の成分のデェイタを収集していた。
「まだ、ティエは発生していないな。酵素の量は足りているのだろうか」
 もちろん、その必要量に誤りはあろうはずはない。その必要量を算出しているのは、『主(しゅ)』なのだ。
 一瞬でも疑った己れを恥じて、水中から腕を抜き、上空を見上げて、爆風を起こし、雲を突き抜けた。まだ大気のヴェールが厚くないため、太陽光と放射線が容赦なく降り注いでいる。その煌々とした光をまぶしげに眼を細めて見つめた。
「お許しください、主よ」 
 輝く太陽の如き存在。絶対無比な存在。
 さきほどまで水につけていた腕を差し上げた。
「デェイタを送信します」
 その腕が輝き出し、光の帯を発して、まだ薄い大気圏を突破し、成層圏外に達した。
 腕からの光帯がすうっと消えた。しばし、見上げていたが、再び、デェイタ収集のために雲の下に戻っていった。
 止雨期の間は、惑星上に降り立ち、調査しなければならず、主の元に戻ることができない。
 そのお側にいられないのは寂しい。ときおり、天地を引き裂くような咆哮を上げてしまう。
 『主』よ、お会いしたい。
 いや、どうしても、その顔を見たければ、波穏やかな水面に顔を向ければいいのだ。その姿を見れば、それが『主』のありしときの姿だと言われた。
『主』は、自らに似せて、彼を造ったのだと。
 だが、彼は、水面に映るその姿を見ることができない。あまりに畏れ多くて、『主』の顔など見ることはできないのだ。そんなことをしたら、眼が潰れてしまうだろう。真剣にそう思うのだ。だから、水面に向かうときは、眼をつぶるか、波を立てていた。
 彼と『主』は、もう何万年も一緒にこの惑星を観測している。
 この惑星は、かつて高度な知的生命体が生息し、彼らが築き上げた科学文明によって、地上や地下、海底、さらには衛星、隣の惑星まで開発し、その栄華を極めていた。
 しかし、科学技術による開発の多くは、性急さと効率性、費用対効果により、後世のための資源が犠牲となる。この惑星も例外ではなく、意思統一のされない数多の集団の利己的利益追求によって、搾取と奪取を繰り返し、破綻し、僅かに残った資源を奪い合い、自滅した。
 『主』は、そのことをいつもため息とともに語り、「どうしてどこの連中も同じことするのだろうな」と最後には苦笑するのだ。
 自滅した惑星に、『主』は初期化システム《ムウイェスィオン》により、新世界を造るプログラムを施した。それが、本部《テクスタント》からの指示だった。テクスタントとは、『主』の本体がある場所だという。
 そう、今、この惑星に派遣されている『主』は、その本体から複製した存在だ。
 『主』が、この惑星に到着したとき、彼はまだ誕生していなかった。
そのため、この惑星がどのように滅亡の瞬間を迎えたのかは、『主』の言葉によって知るしかないが、地上といわず、地下といわず、海底といわず、人造物はもちろん、ヒトも動物も植物も、ありとあらゆる生物、大気圏外に散らばるクズのような人工衛星や宇宙島までもが、霧のように粉々になって、『主』に吸い込まれていったのだ。
 そして、なにもかもなくなった地上に、ウルティミュウリアと呼ばれる力を内蔵した超粒子から出来た黄金の粉を振りまき、初期化システム《ムウイェスィオン》を掛けた。通常ならば、惑星の誕生から生命の誕生までは四十億年以上かかるが、一億年はかからずに生命の誕生を見ることができるはずだった。
知的生命体の誕生など必要ない。豊かな海と緑の大地、青く澄んだ空に、食物連鎖と炭素循環が秩序正しく行なわれる新世界が出来上がればいいのだ。
「命の粒が現れるまで」
 観測は続くのだと『主』は言われた。
(続く)
ネタバレ的キャラ&設定紹介
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2007年01月02日

現在ネットで読める作品リスト

SF
「皮膚(はだ)」*
「最後の葬送」(今後アップ予定)

FT
「翼の血族」(今後アップ予定)
「みずいぬ」*
「らせんの祭り」*

次項有読みたい方はこちらから
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